この集まりは当初、豊橋市高師町福音ルーテル教会の牧師に赴任された、フィリップ・ ルティオ師の夫人マーガレットさんによって、1980年代の半ば、教区の女性のための聖書
研究会として始められました。 1989年、ルティオ牧師が引退すると、代わって愛知大学の教授アイヴァン・コスビー氏 がこのグループの指導を引き受けました。コスビー氏は当時、高師町の福音ルーテル教会
に通い、フィリップ牧師と共に豊橋技術科学大学内の聖書研究会にも参加していました。 後に聖職者となったコスビー牧師がグループの責任を引き受けました。
コスビー先生による聖書研究会は、大学の講義期間中、豊橋市内の様々な場所で開かれ ていました。花田聖書研究会や南栄聖書研究会など、他の聖書研究会と区別するため、「 高師聖書研究会」として知られるようになりました。 2016年にコスビー教授(牧師)がイギリスに引退したことを受けて、高師聖書研究会は オンラインで会合を開いています。このような状況の変化により「高師バイブルクラス」 という名前が付けられました。しかし時代の変遷により、2024年「 聖マグダラのマリア会」 と変更されました。
この教会の初めは、アレクサンドリアから北アフリカ(キレネ、アフリカ、モーリタニア )を横断して西に広がったキリスト教会の支部(ブランチ)の末端でした。
その後、ナルボンヌとボルドー(フランスのアキテーヌ)の間の交易路に沿って進み、4世 紀半ばにアイルランドに到達しました。そこには土着の宗教を基盤としたケルト文明がありましたが
(ケルト文明はキリスト教ではありません)、キリスト教(聖パトリック)の布教により、融合した形で(432年)アイルランド国教会に併合されました。この歴史をたどった教会は、スコットランドのアイオナ(597年)に広がり、さらに南のノーサンブリア(632年)そしてイングランドのコーンウオールへとひろがりました。
6世紀から7世紀にかけて、個々の聖人たちは、現在のブレーメン(北ドイツ)、ザルツブ ルク(オーストリア)、ボッビオ(北イタリア)など、ヨーロッパ大陸に福音をもたらしました
。 アレクサンドリア教会は、その霊性、祈りの生活、そして砂漠の父たち(聖パウロ、聖ア ントニオ、聖シメオンなど)に端を発する隠遁修道で有名でした。聖書の伝道に付随する重
要性の具体的な証拠は、教会の聖書の十字架と美しく描かれた福音書であり、その中で最 も有名なのは「ダローの書」(紀元650年頃)、「リンディスファーン」(紀元700年頃)、「ケ
ルズ」(紀元850年頃)です。
12世紀半ばから16世紀半ばまでの400年間、アレクサンドリア教会のこの拡張は体系的に ローマ教会に引き込まれました。 しかし、宗教改革の間、イングランド国教会とウェール ズ教会と同時期に、アイルランドのこの古代教会は、これらの教会が1世紀の「使徒的」 教会について知られていることに準拠するために、可能な限り自分自身を再編成しました 。
「アイルランドの改革派教会」は、「改革派」イングランド国教会と合併して、イング ランド国教会とアイルランド国教会になりました。主に政治的な理由から、その教会のア
イルランド的要素は1870年に解体され、アイルランド国教会となりました。1990年、この 教会の体制は、聖書の価値観を支持し、「西洋」の世俗的な価値観に従わない場合には教
えることに妥協することを選びました。
アイルランド国教会の唯一の真正な継承者であり 、設立時の「連続体」は、アイルランド国教会(Traditional Rite)であり、その憲法と法律、
および規範は1967年現在のアイルランド国教会のものであり、イングランド国教会とアイ ルランド国教会とは異なり、本物の英国国教会の伝統を保持しています。
コスビー牧師がアイルランド国教会(伝統典礼)に叙階(聖職者の任命)されたとき、教会 は豊橋に「聖マグダラ・マリア礼拝堂」を設立しました。他の聖書研究グループに加えて
、高師バイブルクラスもその管下に加えられました。アイルランド国教会(伝統儀礼)自体が 、聖マグダラ・マリア礼拝堂の司教監督を提供した、ラファエル・カジワラ司教によって
設立された日本キリスト聖公会に所属していたからです。
礼拝堂(チャペル)では、1662年の「共通の祈りの書」、1993年版以前の英語の礼拝 のための「アイルランドの共通の祈りの本」、そして日本語の礼拝のための「日本聖工会
の共通の祈りの本」を使用し、礼拝をささげました。 さらに、豊橋の英国国教会の牧師や 会衆のメンバーとの緊密な連絡が維持されました。
アイルランド国教会(Traditional Rite)は 、Traditional Anglican Communion (伝統的な英国国教会の陪餐にあずかる)教会です。日
本キリスト聖公会も、梶原司教によってこの教会が解散するまで所属していました。 「 聖マグダラのマリア礼拝堂」の目的は、岐阜県、蒲郡市、新城市、浜松市のほぼ中間
の地域に、母国語(英語)で礼拝を希望するキリスト教徒の住民に礼拝所を提供すること でした。
チャペルはまた、キリスト教徒でない人々のための避難所としても機能し、人々 がキリスト教を体験するために特定の教会にしばられることなく、自由な動機から礼拝に
参加することが歓迎されました。クリスチャンになりたいと願う人々は、彼らがアクセス できる適切な教会で洗礼を求めるように導き、奨励されます。それが不可能な場合、聖マ
グダラのマリア・チャペルの司教が洗礼を授け「洗礼証明書」が交付されました。
西洋キリスト教世界のすべての教会の中で、アイルランド国教会(伝統的典礼)は、その 歴史的遺産の点では、おそらく(メソポタミア)アッシリア教会に最も近い西洋教会の一
つと考えられます。これが最初にエデッサ(シリア文化の中心地)に広がり、そこから現 在のペルシャとイラク(メソポタミア)に広がった教会です。この教会は、南方のインドに
まで広がっただけでなく、シリア語の使用により、東方のバクトリア(ボハラとアフガニス タン)にまで広がりました。
そこから、エフタル派のフン族を通じて、キリスト教は最終 的に中国に広まり、アレクサンドリア教会がイギリスのノーサンブリアに到着したわずか 3年後、西暦635年にペルシャの宣教師アローペンが着任しました。唐王朝の太宗皇帝(AD
627-649)とその後継者の庇護の下、この教会の支部は「Jing Jiao 景教」として知られてい ました。景教は10世紀まで中国の大部分に広まりました。(Alopen
Stoneを参照)。変遷を たどった「アッシリア教会」は、13世紀に短期間西日本に到達しました。
アイルランド国 教会(伝統儀礼)は存在し続けていますが大幅に縮小され、実態は名目上の教会です。 とは いえその機能の一つは、「聖マグダラのマリア・チャペル」の幸福に責任を持ち、その社 会に提供される教えを監督することにあります。
著者・アイヴァン・コスビー牧師のプロフィール
1945年、アイルランド首都ダブリンの「ハッチ」ストリート生まれ。
1959-64年、イートンカレッジ、ウィンザー
1965-69年、ダブリン大学トリニティカレッジ
1970年 歴史・政治学の学士号(モデレーター)
1970-77 香港・上海銀行(ロンドン、香港、マレーシア)
1974年 ダブリン大学大学院文学研究科修士課程修了
1978-79 ロンドン(英国フィールドスポーツ協会)
1979-2016 愛知大学(名古屋/豊橋市)
1983年 愛知大学助教授
1992 叙階 (年被祝聖)
1996年 愛知大学 教授(英語)
2016年 愛知大学名誉教授