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この会はクリスチャンもノン・クリスチャン共に学べるように2006年に設立された会です

説 教CONCEPT


説 教

説教は定期的に個人個人の勉強のために用意します。慣例として時節に沿った内容のものを聖書の一節から引用して書かれます。この説教はウエブサイトには、英語と日本語の両方で検索できるように掲載されています。

CHURCH OF IRELAND
  (TRADITIONAL RITE)   

イースターシーズン

アイバン・コスビー牧師

     

本日の聖書: 
アモス書 使徒行伝 10:34-43;コロサイ人への手紙 3:1-4 ヨハによる福音書 20:1-10

聖書引用 口語訳聖書

聖句イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。 すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。(ヨハネ 20:7-8)

 聖句引用口語訳聖書)

導入:磔刑と復活に関した二つのアプローチ:

(1) 歴史上の事実(実際に起きた真実)

復活祭の朝の礼拝で説教する者の任務は2つあります。最初のものは復活の持つ意味の重大さを導き出し明確な説明を加え、特に我々一人ひとりの永遠の生命の深く関わっていることへの理解を深めることです。もう1つは信徒が復活を史実として受け入れることができるよう働きかけることです。復活はキリスト教の核をなしており、わが主イエス・キリストが唯一の神であり人類の救済を完成させることです。復活が歴史上の真実であるならば、それは大きな意味を持つことになります。聖パウロは次のように述べています:
     
 「さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。 もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。 もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。 もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。 そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。 もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
」(コリント人への第1の手紙 15:12-19)  

手短に言って、もし復活が実際に起こらなかったとすれば、キリスト教もまたありえないのです。そうであれば、神を信じ福音を伝えるべき信徒とは、ただ哀れな存在でしかありません。彼らが真実としているのは、根拠のない作り話にすぎないからです。彼らはだまされていたことになります。さればこそ、聖ヨハネは、(復活が)現実に起こった事として伝え、とりわけ彼の福音書の読者に、事実関係に基づく真実として著しています。彼は福音書の最後を次のように結んでいます。

 「イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。」(ヨハネ 20:30,31)

パウロとヨハネ2人の著者は、実際起きたことを正直に記述し、その際、偽りを記述することがあれば、全責任を負うのは自分であると十分に自覚していたはずです。ですから、彼らが記述したものは実際にあった事柄です。始めから、彼らにその責任が負わされていたことは周知の上です。例えば、議員長老律法学者たちは高僧アンナスに率いられていたので、ヨハネとペトロをキリストの復活について説教をすれば逮捕し、説教を止めなければ罰則を科す、と脅していたのです。

 「『ただ、これ以上このことが民衆の間にひろまらないように、今後はこの名によって、いっさいだれにも語ってはいけないと、おどしてやろうではないか』…ペテロとヨハネとは、これに対して言った、『神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。。わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない。』 そこで、彼らはふたりを更におどしたうえ、ゆるしてやった。」(使徒行伝 4:5-21)使徒パウロは、知事のフェスタスとアグリッパ王にキリストの復活を訴えます。「パウロがこのように弁明をしていると、フェストは大声で言った、『パウロよ、おまえは気が狂っている。博学が、おまえを狂わせている』。 パウロが言った、『フェスト閣下よ、わたしは気が狂ってはいません。わたしは、まじめな真実の言葉を語っているだけです。』」 (使徒行伝 26:24,25)
  
 福音書の著者は、自分達が告訴されることを承知で、敢えてキリストの復活を記述しているのです。現代では懐疑的に捉えられているかも知れませんが、挑戦は立派な立証になります。これは、総督フェストス、アグリッパ王、その他の議員に向けたメッセージだったのです。「ローマ人の番兵たちは都に帰り、この出来事を全ての祭司長に報告した。」(マタイ28:11)どうして、これらの著者たちが、起きてもいない嘘の出来事を記述することができるでしょうか? 先に名を挙げた総督、王議員連は多くの既得権益を握っており、イエスの周りで生じている事件に入り組んだ工作を試みたが、キリストの復活はなかったと立証はできないでいました。


 現代ヨーロッパの人間至上主義的啓蒙思想(H E R)は、キリストの復活は単なる神話に過ぎないと見做し、頑なに事実を直視しようとしません。学者や知識人から構成されていて、それなりの社会的影響力のある団体がキリスト復活の事実はない、と激しい攻撃を加え社会の関心を集めています。人間至上主義的懐疑への挑戦は、キリストの逮捕から復活に至るまでの1週間に起きた一連の出来事を、史実として記録に残し焦点を絞って証明していくことです。
    
ここでの説教の目的は読者の前に事実を並べることです。私達がそうした事実を理に適った形で知ることが出来るためです。仮にそうした出来事が嘘であると指摘できないのは、おそらく状況証拠が揃っているからで、彼らが真実を語っている に違いないからです。更に今、復活の信ぴょう性に異議を唱える人々が一連の出来事を解明する中で、十分に疑問を払拭する説明が出来ていないことが挙げられます。読者自らが復活の可能性に真に向き合うとき、正しい判断をする見識が自身に備わっていれば、そこに記述されている復活の可能性を考慮せざるを得ないのではないのでしょうか。彼らは墓の中で起きたことは事実であると言いました。もしそれらが福音書に記述されている通りであれば、読者は真摯にその可能性を認め、本当に在ったこととして結論づけるでしょう。キリストが自らを語られた事や、復活の持つ意味の重大さを強要されるからではなく、自分から積極的に受け止めるでしょう。

ヨハネによる真実の実現.
ヨハネは空になった墓を見て、その中の様子を細部まで非常に詳細に記述しています。その多くは復活と直接結びつかないように思えますが、何故なのでしょう。彼は付随的状況を見たままに記述しているからかもしれません。細かいことよりも、非常に重大な出来事について真実を語りかったからです。ペテロとヨハネは墓の中で何か異変があった、と知らせを聞いてすぐに調べに行きました。すると、すでに墓に行っていた婦人達から墓の石が取りのけられて墓の中は空になっていると聞き、誰かが中に侵入してキリストの遺体を盗んだのだと思いました。2人はすぐ墓に走っていきましたが、ヨハネの方が若いのでペテロより先に墓に着いたとヨハネは記述しています。彼はこのことをわざわざ記述する必要はなかったのですが、自分が誰よりも実際に起きたことを、より正確に記述して記録を残しておかなくてはならないと強く自覚していたからです。

 もし、その墓がGordon Tomb(ダマスカス門からほど遠くない場所にあり、キリストが埋葬されたと信じられている)と同じタイプのものであれば、墓の入り口は岩石を切り開き、長方形をした控えの間に続いています。控えの間は入り口から見て右側にあり、露出している岩肌と平行になっています。それは入り口の両側にある低い壁で切り離されています。そこが埋葬の部屋になっていて岩石を切って水平の平たんの台座が3台置かれていたはずです。そのうちの1つにキリストの遺体が、香料を浸み込ませた埋葬用の布でしっかり包まれ、(特に保存のためにはミイラ状態にして)、顔には白い布がかぶらされて安置されていたはずです。

 ヨハネは見たこと、取った行動の詳細の記述には、目撃者としての顕著な特徴がみられます。何が起きたのかを、読者は容易に想像が出来、消えることない記憶として心に刻み込めます。埋葬用の布からキリストの身体が抜け出す時に脱ぎ捨てられ、それがそのときのまま多少乱れた状態で折重ねられて、そこに置かれているようすが生々しく記述されています。その光景を見てキリストは復活したのだと確信しました。すべての物が、キリストの身体を除いて、埋葬のときと同じ状態で残されていたのでした。ヨハネを驚かせたのは埋葬用の布が移動させられた様子がなく、顔に被せてあった白い布がきちんとたたまれて、埋葬用の布のそばに置かれていたことでした。他のものにはすべて乱れた様子が見られませんでした。ここまで正確に記述がなされていると実際に目にした光景としか考えられません。

ここまでのヨハネの報告は、彼の実体験による正確さで描写されています。この正確さに比べ、婦人たちの体験を報告する彼の記述には、対照的な相違がみられます。「さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。」(ヨハネ20:1) ところが一方、マタイ、マルコ、ルカはそこには複数の女性がいたと記しています。マグダラのマリアは一人では行かず、ヤコブの母マリアとサロメを伴って墓に行っています。(マタイ28:1;マルコ16:1;ルカ24:1,10)どうして、ヨハネはマグダラのマリアがキリストの身体が盗まれてしまったと結論を急ぎ、弟子たちにキリストと会うためにガリラヤへ行くように、そこで(復活の)キリストに遭える、という天使からのメッセージを記さなかったのでしょうか。マリアが天使の出現を信じたこと以上に、「何故主の遺体が盗まれ、墓が空になってしまったのか」という彼女自身の焦燥に、より深く傾倒されたからでしょうか。マルコは福音書の中で、彼女たちは見聞したものに震えあがり、誰に話す余裕もなく逃げ帰った、と次のように記しています。「女たちはおののき恐れながら、墓から出て逃げ去った。そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである。」(マルコ16:8) このことからみてヨハネとペテロは、他の弟子たちとはそれぞれ別の場所にいたと考えられます。そしてマリア以外の二人の女性たちが弟子たちを探し出す間に、マリアはぺテロとヨハネに、ニュースを伝えるように決められていた可能性も浮かびます。その途上、女性たちは復活のキリストに出会いました。(マタイ28:9,10) これで、なぜヨハネが最初の段階からマグダラのマリア一人だけが墓に来ていたと思っていたかの説明がつくでしょう。この間違いはさほど重視するほどのことでもなく、事実ヨハネ自身が墓を訪れ報告しているような(詳細な)描写はないのですが。女性たちが墓に行ったとき、ヨハネ自身はまだそこに着いていなかったと考えるのが妥当でしょう。(この部分に関する)彼の記録は実体験ではないからです。

復活の真理に気付く時期は人それぞれ違います。エマオに向かう途中でキリストに出会った人達は、晩餐の席でキリストがパンを割く手つきを見て、目の前にいる人物がまさに復活したキリストであると気がつきました。その時の驚きと喜びは言葉で言い尽せるものではありません。トマスは、キリストの脇腹に触れたときに彼のよく知っている彼の師である主イエスであることを知りました。しかしキリストはそれ以上の方だったのです。ほんの少し前十字架上で起きたこと、まさに同じ人物が十字架上で両手を釘で打たれ、磔にされ、脇腹を兵士の槍で刺され死んで墓に葬られた、その同じイエスが目の前に立っているのです。トマスはその人物に向かって「わたしの主,わたしの神よ」 (ヨハネ 20:28)と言ったのでした。そうです。彼こそがトマスがよく知る師であり、主である神、イエスであったのです。だからトマスは「わが神!」と言えたのです



2025年 4月

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