説教は定期的に個人個人の勉強のために用意します。慣例として時節に沿った内容のものを聖書の一節から引用して書かれます。この説教はウエブサイトには、英語と日本語の両方で検索できるように掲載されています。
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CHURCH OF IRELAND
(TRADITIONAL RITE)
公現祭
マタイの福音書に見る真実
アイバン・コスビー牧師
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書簡:エペソ人への手紙1:3-12.
マタイによる福音書2:1ー12
聖句:そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。(マタイ2:11)
引用は新改訳聖書
前文、
公現祭(Epiphany)は、この世に出現された神を記念するキリスト教会の重要な祭です。神は三位一体の第二位格として人の姿となられ、メシヤ(ギリシャ語でキリスト)として人々の間に来られました。マタイが記述した主要なポイントは、三博士がこの唯一特別な幼子を探し求めたときの報告です。
博士たちは、その幼子が確かに礼拝されるべき尊い存在であり、即ち確かに聖なる神の子であると確認したのです。この驚くべき話の展開は、次の声明によってクライマックスに達します。「彼らは母マリヤと共におられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。」11節前半。
この聖句によれば、博士達は確かに「幼子」を礼拝したのであって、父母であるマリヤ、ヨセフは礼拝の対象とはなっていません。東方の博士たちは幼子にのみ神性を認知していたのであり、他の人びととは区別しています。幼子は普通の人の子ではなかったのです。
博士たちの礼拝の対象となった主権者である幼子について、マタイの福音書はさらに重要なポイントを指摘しています。聖なる王権を有する神とは、この世の王やリーダー達からも礼拝されるべき方です。したがって、ヘロデ大王もまた博士たちに命じて言いました。「こう言って彼らをベツレヘムに送った。『行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。』」2章8節。
一方で博士たちは、それ以上に、この出来事に伴う「救い」の普遍性に注目していました。それは、アブラハムに与えられた「神との契約」の成就が今まさに起きているということです。「わたしは、あなたの子孫を夥(おびただ)しく増やし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから王たちが出て来よう」創世記17:6。
この主張を正当化し裏付けるため、福音記者である聖マタイは事実に基づいて、実際に起こった出来事として記録しました。そこには推測も無く、哲学や宗教的な思考もありません。また当時流行のユダヤ律法思考の影響すらありません。彼がどれほど歴史的な事実だけを重視して福音書を著わしたか、次の段落が証明しています。
そのひとつとして、事の経過の中ではあまり価値の無いこともマタイは記録しています。「博士たちは尋ね来て、家に入った。」とありますが、博士たちがたどりついたのは羊飼いたちの訪問の後であることを示唆しています。その時は既にマリヤとヨセフは、適切で心地好い宿泊施設に移っていたのだと思われます。
真実とフィクションの交差する世界
私たちは、特に西ヨーロッパにおいて、過去数世紀にわたり人々が「世界をリードする近代的啓蒙文明」と称賛する最先端の地位を享受してきた時代に生きています。時間の経過につれて、この文明社会は、おおむねそれ自体が蝕まれ、道徳的規律と信仰を土台とするキリスト教を、ヒューマニズムという宗教に置き換え、そして人間中心主義の宗教が優位となります。
この文化の中で人々は、マタイの福音書の博士たちの話は神話だとして退け、残りの新約聖書の記述も多くが同様に扱われるようになります。そればかりか旧約聖書の記録も同様に扱われます。
科学的進歩によって、明確にされている現代の世の中は、偉大な啓蒙歴史家のエドワード・ギボンが私たちに信じ込ませようとした、古典的文明によって引き出された、いわゆるルネッサンスに起源があるのではなく、人々の思考の優先順位の変化にあるというのが事実です。
それは現実とフィクションとに関わることで、またそれを見抜くことです。簡単にいうと世の中をあるがままに見ることです。これには「真実」と「事実」に対して絶対的な関心が必要です。しかし、実際に見えている世界だけが確かなリアリティーを持つ、そこから事実と虚偽を見分けられるという先入観はどこから来たものでしょうか。
この問題を正すものとして、アリストテレスの経験主義の影響を挙げることができます。しかし、問題を根本的に変える圧倒的な理由となったのは、平易な言葉による翻訳が可能になり、真剣に聖書を読むことがすべての階級に広く浸透したことによります。すべての社会がその考え方を吸収することができたことです。考え方の変化が起こりました。中世社会から現代への思考の転換です。人々はもはや占星術を信じることはなくなり、同じ分野の天文学探求へと移行しました。
聖書の神、そして旧約聖書の歴史は、本来的に現実に起こったこととフィクション、そして真実と偽りの信仰を区別しています。アブラハムはアリストテレスが登場する1500年前にこれを体験から学びました。旧約聖書は歴史の中で実際に起きたことと、その因果関係に焦点を当てています。その様に聖書は、現実と虚偽を見分けることのできる多くの可能性を秘めています。
さて、他の文明諸国について見てゆきましょう。他の文明は現代西洋文明よりはるかに長く事実と関わり合いを持ってきました。しかし驚いたことに、その現代の世俗社会の人々は、真実と虚偽を区別することに関して、現世界の実情を見る目を失ったかのように、中世社会の考え方に逆戻りしています。むしろ、ある種の哲学的な思考を前提とするものを理想として信じる風潮があります。次にあげるのは、我々の住む捏造された世界の典型的な実例です。
男性と女性は質的に異なった存在であると信じることの拒否。質的同一性を求める彼らは、次のような扱いを必要としています。堕胎は一理あることで殺人よりましな行為、ヒンズー教のような巡礼地信仰、心霊現象の信仰、映像世界と現実の混乱、ニュースと偽ニュースの混乱、性の問題の混乱、同性愛は異常であるということを理解しない、性別は2つ以上ある、物質、動物と人間は完全に異質というわけではない、キリスト教だけが唯一の真理であるとは言えない。他の宗教も同じ主張をしているではないか、などです。
実際の出来事からキリストの神性を証明する記者マタイの姿勢
聖書
マタイによる福音書は、意識的にユダヤ人を読者として書かれているように見えます。この福音書の重要なところは、旧約聖書時代の預言者たちが予言して語ったことが、歴史の時を経て実際に成就した証言として描かれていることです。
さらにマタイは、キリストが全世界の主権者であることへの注目を促しています。言い換えるなら、キリストは究極の統治者であり、ユダヤ民族国家だけでなく、全て創られたものの主であると著わしています。
これに関連して、一章、二章は意図的に並列記録されています。一章では、ヨセフの先祖であるダビデ王の家系にさかのぼり、さらにその始祖である家系を、ユダヤ民族国家の父となる、「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエスキリストの系図」1節。として描いています。マタイによるキリストの時代の系図は第一に重要なものですが、彼はさらにアダムにさかのぼって、キリストが全世界的な統治者であることを強調しています。
アブラハムは単にイスラエル国家の父、あるいは統治者であっただけでなく、これはやがて普遍的な意味を持つことになります。「アブラハムは確かに偉大で強力な国家となり、地球上のすべての国々が彼によって祝福された。」創世記18:18
地球上の人口の約九人に一人は、キリストは人類の救い主であると認めています。その意味でダビデ王の王権は、天地を創られた創造主である神の好意による、この世の(ロールモデル)模範と言えます。
「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」第二サムエル記7:12,13。
後に続く王たちは、いかにダビデ王の行跡に匹敵する王政かどうかによって評価されました。例えば、後代のヨシュア王政の評価は、次のように要約されています。
「彼は主の目にかなうことを行って、先祖ダビデの全ての道に歩み、右にも左にもそれなかった。」第二列王記22:2。
これに関しては、ダビデ王自身が聖なる方をダビデの子と断言し預言を肯定しています。「全能の神(ヤハウエ)は、わたしの主に言われた。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、私の右の座についていなさい。』」(右の座とは神と同等の位置であり、左の座は従属の位置を示す)詩篇110:1。この聖句は、ルカの福音書の記録のなかで、天使ガブリエルがマリヤに受胎告知されたことと同様に重要視されます。
「その子は優れた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」ルカ福音書1:32、33。
キリストの宣教活動の終盤の頃、キリストの父は誰と思うかとパリサイ人に問いました。彼らはダビデ王であるべきだと答えました。そこで主キリストは、上記の詩篇110編を引用して、ダビデ王は末裔であるキリスト=神、に従属するという重要な事柄を彼らに説明します。これに対しパリサイ人は一言も答えることが出来なかったと、マタイの福音書22章41-44に書かれています。
さらにマタイは、神によって定められた系図の秩序性について、読者に注意を向けさせています。神の選民と言われるイスラエル民族との間で、族長や王権に関する問題は、歴史に影響を及ぼす重要な出来事の中で交わされてきました。
アブラハムからダビデ王までは14代、ダビデ王からバビロン捕囚までが14代、イスラエル国家はバビロニアの支配のもとで国民の多くが敗戦の苦しみを受けました。次の14代目にヨセフが登場し系図はこのように締めくくられています。「ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからおうまれになった。」マタイの福音書1:16。
福音書の記者マタイはイエスがマリヤから生まれたと記録を始め、人類学的には全てヨセフの先祖をさかのぼった記述が用いられていますが、ヨセフの子としてキリストが生まれたのではないことを明確にしています。
福音書の記者マタイの説明はさらに注意深く、ヨセフが一人の男として、なぜマリヤをひそかに遠ざけようと考えたのか、史実を描写することによって、キリスト生誕の秘密を区別しています。
記録は次のように始まります。「イエス・キリストの誕生は次のようであった。」マタイの福音書1:18。自分は父でないと分かった世の男であるヨセフの自然な反応は、ひそかにマリヤとの婚約を解くことでした。言い換えれば、マリヤとの関係は無実であると分かっていたからです。彼はマリヤの評判を落とさないようにと気遣いました。ヨセフには二度、マリヤの受胎は聖霊の命であると語られます。
最初に注目されるのは聖霊がキリストを宿したのは、マリヤとヨセフが一緒になる前のことです。言い換えれば彼らはまだ婚約中の身でした。「ふたりがまだ一緒にならないうちに、(マリヤは)聖霊によって身重になったことがわかった。」マタイ福音書1:18。一方でヨセフはどうしたものかと思いを巡らせていると、天使が夢に現れて彼に安心を与えます。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい.その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」マタイ福音書1:20。
さらに子供が生まれたら、地上の家族としてその子を健康に育てる責任を持つヨセフに対して次のように語ります。「その名をイエス(救い主の意)と名付けなさい、この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」マタイ福音書1:21。それから、マタイは旧約聖書の預言を引用し、その歴史的な出来事が正確に成就したことを証明しています。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。(神は共におられる、という意味である。)」マタイ福音書1:22,23、イザヤ書7:14からの引用。
ベツレヘムでキリスト誕生の歴史的事実
メシヤ(救い主)がベツレヘムに生まれるという福音を、当時のユダヤ人社会は認識していました。特にそれはダビデの家系で、重要な最初の場所となるのがベツレヘムであることは、世間の定評としてよく知られていました。
さらに、預言者ミカは、救い主がベツレヘムから来られることを明言しています。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの民族の中で最もちいさいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になるものが出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」ミカ書5:2。
ところで、ヨハネ(福音書の記者)は、後にキリストが幕屋の(仮庵祭)に参加されたとき、群衆が彼は確かにメシヤ(キリスト)であるかどうかの議論で混乱したことを、記録しています。多くの人々が、キリストの出生はナザレ(ガリラヤ地方)であるという認識からの違和感がありました。
しかし、マタイとルカは、救い主の誕生がダビデの家系に属する地であるベツレヘムであることに疑いを持ちませんでした。「キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。」ヨハネの福音書7:42「それでヘロデ大王は博士たちを呼んでこう訊ねた。ユダヤ人の王となる幼子はどこに生まれられたのか、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」マタイの福音書2:8
おそらく、ヘロデ王はエドム人であったので、彼はそれを知らなかったようです。彼は仕方なくすべての祭司長たちと律法学者に問いました。すると彼らは上記のミカの預言どおり、「ベツレヘム」と答えました。
「ベツレヘムの星」の真実
欽定聖書の中で賢者”Wise Men”と呼ばれる人々は、ギリシャ語でMagi(複数形は Magos)と呼ばれます。この言葉はペルシャ語に起源をもつ「偉大な人」を意味します。また英語となって’magisterial,’‘magnify,’(権威ある、偉大な)’magnanimous’,
‘majesty’,(寛大な、威厳)として現存しています。
それゆえ、西欧社会でMagiの基本的な概念は、王であった人、或は本来Magosとは、誰の援護も受ける必要なのない、特殊な感性と精神を備えた人を想定したようです。にもかかわらず、実際には高いレベルの天文学者(占星術師)として、今日のアインシュタインやホーキンス博士のように、崇められ尊敬を集めていました。
ヘロデ大王とサンヒドリン会議のユダヤ人たちは、Magi(博士たち)の天体観測から得られた結論(ユダヤの王の誕生)について、かなり深刻に受け止めていると、マタイは捉えています。私たちが僅かに持っている他の知識は、博士たちが東方から来たということだけです。これはかなり曖昧な表現で、それが何処であるかは、ペルシャから、はるか遠く中国まで伸ばして考えることになります。
西暦の時代に入って、東方、中国では、二人のウルムチ人(ウイグル人)クリスチャン、ラッバーン・バール・サウマとマール・ヤバラーハが登場します。この二人は当時の皇帝から、聖地エルサレムを訪問する許可を得て巡礼の旅をしています。後に二人はネストリウス派東方教会の巡回総主教または大主教となり、その権威は現代のイラクから中国にまで及んでいます。ですからMagi(東方の博士たち)が中国から来たとしてもあり得ないことではありません。
ラッバーン・サウマは中国からはるか西方に旅をして、イギリス王、エドワード一世にも謁見しています(C.1287.)。東方の博士たちはどこから来たにせよ、彼らを西へ西へと旅させたものは何だったのでしょうか。
博士たちが旅をした頃の中国の天文学は、全ての点で西欧諸国をはるかに凌ぐ進歩が見られたことはよく知られています。ハン(漢)王朝時代(206BC-220AD)の天文学書、「Astronomical Records of the Book」には、博士たちも見、マタイによって解説された星の観測記録が明確に残されています。その重要な観測とは、Xiao Ai (哀)皇帝の時代、 Jian Ping (建平7-1BC) 統治の2年目、即ちBC5年に起きたとされています。
その文書の一部を英文であげておきます。 (日本語に翻訳)
(統治2年目のふた月目、彗星がアルタイ地方に現れ、70日以上留まった。彗星が現れることは、古いものが過ぎ去り新しいものに取って代わるしるしと言われている。アルタイル星、太陽、月そして五つの星の動きが、新しい時代の到来を知らせている。新しい年、新しい月、新しい日の始まりである。この彗星の出現は、疑いもなく変化を示すシンボルであり、この彗星の長きにわたる出現は、この変化が極めて重要であることを示唆している。)
当の彗星は、紀元前5年の3月9日から4月6日まで天空に現れ、70日間観られました。博士たちは、天体観測によって示された、メシヤ(救い主)到来のしるしを追いながら、エルサレムに辿り着き、偉大な神のサプライズに驚愕させられたようです。彼らは、預言者ダニエルの書から、メシヤの到来を待ち望んでいました。彼らの知識からしても、旧約聖書に記された星の、重要な関連性を、知らされていたにちがいありません。
「私は見る、しかし今ではない。私は見つめる。しかし間近ではない。ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本のつえがおこり、モアブのこめかみと、全ての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。その敵、エドムは所有地となり、セイルも所有地となる。イスラエルは力ある働きをする。ヤコブから出るものが治め、残った者たちを町から消し去る。」民数記24:17-19。
この経緯の中で、(メシヤ誕生と)星との関連を文字通りに理解し認められることは難しいのですが、マタイは、この事件でヘロデ王とエルサレム全体が混乱に落ちいったと説明しており、ユダヤ人の救世主である王の誕生を気付かされたのは、おもに天文学者達の示した結論によってでありました。
博士たちが、ユダヤ人の救い主である王とエルサレを、どのように関連付けていたかについては、知られておりません。多くのユダヤ人が捕囚となったこの時代、ダニエル、エゼキエル、ネヘミヤ、おそらくモルデカイ等の預言者が、バビロンやペルシャで重要な役職に処遇されていたことは周知のとおりです。一つの可能性として、博士達はそれらの人々を知っていて、彼らの文書を学び、旧約聖書の発見と、多くの歴史的預言の発掘へと、導かれたかもしれないと考えられます。
マタイの記録:
「そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間をつきとめた。」2:7。と記載しています。ここから次のことが分かります。この時までに博士たちはエルサレムに到着し、その時彼らが観ていた彗星が消えていたのは、70日以上も掛かってエルサレムに到着したのですから、理解できます。
それでも、ヘロデとおそらくサンヒドリンからも、彼らが観測した星の日時、場所や詳しい説明を求められたようです。マタイはさらに語ります。「彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると見よ、東方でみた星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。」2:9。つまり、その星は再び現れたのです。彼らが観ていた星の運行による角度によって起こりうる現象だと、マタイは説明しています。
また中国の歴史書も、第二の観測としてこれを裏付けています。前漢王朝の歴史書によると、皇帝Ai(哀)の時代、ベイスターと呼ばれる(尾の無い彗星)が、アルタイル(わし座)の一部に現れたことが記録されています。しかも日時は、Jian Ping(建平)の御代3年の三か月目に当たり、西歴で言い換えれば、紀元前4年4月24日となります。意味深いことに、この二つの観測の経過時間差は13か月です。それ故に、なぜヘロデ王が、とりわけ二歳以下の幼児を全て殺すように命じたのかが理解できます。ヘロデ王はこの年の暮れに没します。
この時エルサレムとベツレヘムで同時的に何が起こっていたのか、中国の天文学者たちには、何の情報も無かったことを心に留めておくべきです。彼らの間で内通があったわけではなく、学者たちが星を観測するのに、ベツレヘムでの出来事を理由とする動機の裏付けもありません。
それについてマタイの指摘していることは真実です。真実に対して三つの姿勢があります。一つは博士たち(Magi)のように、彼らは真理の探究者として上記の真実を明らかにしました。それからマタイの福音書の伝道者もそうです。次にヘロデ王のように真実を知ることが恐ろしく、聞きたくない人があります。そして三つ目、エルサレムやベツレヘムの人々のように、真実に対して無関心で、どんな出来事にも注意を向けない人々です。
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1. E.A. Wallis Budge著『中国皇帝クビライ・ハーンの僧侶たち』(1928年)参照
2. 中国における目撃情報とその解説については、Chang Kei-Thong著『父祖たちの信仰』(2007年)§「東の星」p.310以降を参照。
3. アルタイルは、最も明るい15の星の一つで、鷲座(わし座)で最も明るい星である。中国名は「千牛」(牛の群れ、牛を歩く)である。
4. 『子之記』第34巻、漢代紀第26号にも、この目撃に関する簡潔な記録がある。
なぜ女性牧師は認められないのか
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